「“サバラ”はまた会うための合言葉」漫画家・芸術家、楳図かずおさんのお別れの会 里中満智子さん、伊藤潤二さん、高橋のぼるさん、中川翔子さんのコメントも

漫画家・芸術家として多くの人々に親しまれた楳図かずおさんを偲ぶ「楳図かずお サバラ!お別れの会」が、2025年5月28日(水)吉祥寺エクセルホテル東急8階のアンバサダールームで執り行われました。楳図さんが親しんだ吉祥寺での開催となりました。
会は関係者と一般の部に分けて行われ、いずれも飲食を伴わない献花形式で開催。一般の部は17時から始まり、会場の外には約250メートルにも及ぶ献花の列ができ、楳図さんを慕う多くの人々が集まりました。楳図先生がどれほど多くの人に愛されていたのかを改めて実感する場となりました。

赤と白の花々で彩られた祭壇 「楳図かずお サバラ!お別れの会」

祭壇は、楳図さんのトレードマークである赤と白のボーダー柄をモチーフにデザインされ、約7000本の赤と白のカーネーションやバラなどの花々で彩られました。遺影には、自宅で撮影されたという、おなじみの「グワシ!!」のポーズを決めた笑顔あふれる楳図さんの写真が選ばれました。

里中満智子さん、伊藤潤二さん、高橋のぼるさん、中川翔子さんが語る楳図さんとのエピソード

お別れの会に先立ち、囲み取材が行われました。出席したのは、『アリエスの乙女たち』『天上の虹』で知られ、日本漫画家協会の理事長も務める漫画家・里中満智子さん、『うずまき』などホラー作品で知られる漫画家・伊藤潤二さん、『土竜の唄』の作者であり、かつて楳図さんのアシスタントも務めた漫画家・高橋のぼるさん、そして楳図さんの熱心なファンとして知られるタレントで歌手の中川翔子さんです。

里中満智子さん「漫画、絵画、パフォーマンスのジャンルを超えた、超強力な表現者」
お別れの会に際して
「まだ実感がわかないんです。楳図先生は“この世ならざるもの”といいますか、超越した存在のように感じていて、今もどこかにいらっしゃるような気がしています。唯一無二の存在だったので、これからますます作品が注目されていくと信じていますし、私たちにできることは、その作品をより良い形で後世に伝えていくことだと思っています。」
楳図先生との初対面について
「お会いしたのは1965年。『少女フレンド』という雑誌で私も描かせていただいていて、そこでご一緒しました。当時、楳図先生の『ママがこわい』や『へび少女』といった作品が大ヒットしていました。ただ、子どもが母親を恐れるような内容だったので、『子どもにこんな漫画を読ませるなんて!』と編集部には抗議の電話がくるんですよね。でも先生はまったく動じることなく、どこ吹く風という感じで。信念を持って描いていらっしゃる姿が印象に残っています。」
表現者としてのすごさ
「一言でいえば、表現者として非常に貪欲な方でした。漫画だけでなく、自ら作詞作曲し歌われた『闇のアルバム』というLPは傑作でしたし、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を踊られたときのパフォーマンスには驚きました。マイケル・ジャクソンよりうまいんじゃないかって(笑)。
楳図先生にとって漫画は表現手段の一つ。たくさんの表現手段をフルに使って、惜しむことなく見せてくださったと思います。晩年の連作絵画もとても嬉しく拝見しました。漫画、絵画、パフォーマンスといったジャンルを超えて、“楳図かずお”という一つのジャンルがあるんだと思います。超強力な表現者でした。」
伊藤潤二さん「吉祥寺のイタリアンレストランでディナーをごちそうに」
お別れの会に際して
「私が人生で初めて読んだ漫画が楳図先生の作品でした。生まれたてのアヒルの刷り込みのように、私にとっては第二の父のような存在です。第一回楳図賞で佳作をいただいたことが、一生のうちで最大のご褒美でした。」
楳図先生とのプライベートエピソード
「楳図先生とは、これまでに4回ほどお会いしただけなのですが、3回目のときに吉祥寺のイタリアンレストランでディナーをごちそうになったんです。そのときに、先生からいろいろなお話を伺うことができました。
特に印象に残っているのは、楳図先生が監督された映画『マザー』についてのお話です。主人公のキャラクターは手のひらに黒い点があるという設定で、インクのついたペンで自分の手のひらを刺してしまうシーンがあるんですね。
この映画は、楳図先生の自伝的な内容だということもあって、『先生の手のひらにも、ペンで刺した跡があるんですか?』とお尋ねしたら、『あるよ』と実際に見せてくださったんです。
私自身も、仕事中にうとうとして、うっかりペン先で手のひらを刺してしまうことがあるんですが、それをお見せしたところ、先生が『それは漫画家の勲章ですね』と、非常に嬉しい言葉をいただきました。」
楳図作品から受けた影響
「子どもの頃から“天才”の漫画を読んで育ってしまったので、それが私の基準になってしまったんです。テーマの深さ、ストーリーの緻密さ、隙のない描き込み、楳図先生が独自に編み出した作風だと思います。
タブーを恐れない姿勢もすごいですよね。『漂流教室』に描かれていた過酷な描写は、今までになかったような表現でした。手に入る楳図先生の本はほぼ読んだと思うのですが、読んでがっかりした作品は一つもないというところが、ものすごいなと感じます。
作品のスケールもテーマも回を重ねるごとにどんどん深くなっていきますよね。これは、天才にしかできない仕事だ、と感じます。」
高橋のぼる「まるで宇宙と交信しているかのような緻密さ」
お別れの会に際して
「里中先生がおっしゃる通り、楳図先生は唯一無二の“超激レアな存在”でした。僕はアシスタントとして9ヶ月間ご一緒させていただいたのですが、あまり仕事らしいことはせず、1ヶ月ほどサンフランシスコに一緒に行ったりして、遊んでいた思い出が浮かびます。そんなふうに間近で“天才”と過ごせたことを、今でも本当に幸せに感じています。」
アシスタント時代に見た楳図先生
「僕はアシスタントをしていたので、楳図先生から直接、絵の指導を受けました。先生は決してトレースをしない方で、背景の電柱や塀なども、何度も同じものを描かなきゃいけない。それが『まことちゃん』のように1ページに12コマもあると、本当に大変でした。自転車についても、トレースは使わずに“構造的に走ればOK”とおっしゃっていましたね。自分の内から出てくるもので描くという姿勢を教わりました。」
楳図先生の天才性
「造形力が圧倒的でした。“誰も見たことのないもの”を生み出す力がずば抜けていて、ストーリーもまるで宇宙と交信しているかのような緻密さ。同じ漫画家として、到底到達できないすごい域にいらっしゃるなと感じます。」
中川翔子さん「世界中の子どもたちにも、あの“怖さ”を体験してもらいたい」
お別れの会に際して
「楳図先生の作品は、“怖い”だけではなく、美しさやさまざまな感情を呼び起こすもので、漫画という枠を超えた、“宇宙の中の特異点”のような存在でした。私の名前「翔子」は、『漂流教室』の翔ちゃんからいただいたものです。
私は、先生の“またね!”という言葉を胸に、これまで生きてきました。でも、もうその“またね”を直接聞けない日が来てしまったなんて、今でも信じられません。
先生の偉大な功績を次の世代に伝えていくことが、私たちの使命だと思っています。」
楳図先生のユニークな人柄が伝わるエピソード
「先生はまるで子どものように純粋で、遊び心にあふれた方でした。楳図先生と“デートをする”という企画があったのですが、そのときに突然『翔子ちゃん、グワシ投げしようよ!』と、謎の遊びを提案されたことがあって(笑)。本当にチャーミングな方でした。」
楳図先生の偉大な功績を伝え続けていかなければ
「最後にお会いした展覧会で、“頑張って描いても誰にも褒められない。でもフランスが賞をくれて、評価してくれたから、また描こうと思ったんだよね”とおっしゃっていて、その横顔が少し寂しそうに見えました。だからこそ、もっと声に出して、もっと形にして、楳図先生の偉大な功績を伝え続けていかなければと思いました。」
幼い頃に楳図作品に親しんでいた思い出
「母が集めていた楳図先生の作品を、暗い廊下でこっそり読んで育ちました。あの時間が、私の想像力を育ててくれたと感じています。学生時代につらい時期があったときも、先生の絵を模写しながら、“こんな線を引いていたんだ”と驚き、絵というものへの興味に気づかされ、励まされました。
子ども時代に、怖い、ワクワク、おもしろい、美しい、といった感情に触れることが一番大事だと思うので、(自分の子どもにも)いつか読ませたいなと思いますし、世界中の子どもたちにも、あの“怖さ”を体験してもらいたいですね(笑)。イマジネーションを育てるうえで、本当に素晴らしい体験だと思っています。」
楳図作品の天才性と普遍性
「楳図先生はいつもボーダーを着ていらっしゃいましたが、その活躍ぶりは“ボーダーがない”存在でした。先日、楳図ハウスで『わたしは真悟』の原画を拝見したのですが、一本一本の線が本当に光を放っていて、緻密に重ねられたそのペンの跡があまりにも芸術的で、言葉にならないほどでした。
そしてやはり、何よりすごいのはそのイマジネーションです。約50年前に、すでにあんなテーマを描いていたんだと驚かされます。例えば『漂流教室』で描かれた未来の環境問題だったり、『わたしは真悟』でAIがどんどん進化していくことだったり。やっと時代が先生に追いつき始めた、そんな感覚です。楳図先生の心は、時を超えて、漫画という表現を通じて、私たちにたくさんのことを伝えてくれていたのだと思います。そして何度読み返しても新たな発見がある。楳図先生の作品は、きっと人類が存在する限り、教科書のように読み継がれていくと思います。」
「お別れの会」は「グワシ!」ではじまり、「グワシ!」で終わる楳図さんらしい会に

お別れの会は14時から始まり、約200人が参列しました。開式前の会場では、1979年に発売された楳図さん自身が歌う「グワシ!! まことちゃん」がBGMとして流れ、楳図さんらしい和やかな雰囲気に包まれてスタートしました。
式の冒頭では黙祷が捧げられ、その後、主催者を代表して一般財団法人UMEZZの代表理事・上野勇介さんが登壇。上野さんは「楳図さんといえば、まずこれをやらないとはじまりません」と語り、楳図さんが実際に使用していた“グワシハンド”を手に参列者全員で「グワシ!」ポーズ。楳図さんへの感謝の気持ちを表しました。


上野さんは「とてもお別れの会とは思えない、楳図さんらしい賑やかな会になっていると思います。楳図さんも、絶対喜んでいるはずです」と語り、来場者への感謝の気持ちを伝えました。
続けて、「楳図さんは、きっとどこかでこの様子を聞いているはずです。楳図かずおの漫画はこれからもずっと読み継がれていくぞ、今まで以上にもっと発展していくぞ、楳図かずおは永遠なんだぞ——みんなで集まって、そう伝えたくて、この会をずっと心待ちにしていました」と、思いを話されていました。

「楳図かずおサバラ!お別れの会」 ごあいさつ全文

この度は「楳図かずおサバラ!お別れの会」にお越しいただき、誠にありがとうございます。
晩年の楳図さんは、老いや病と闘い、もがきながら、作品づくりに向き合っていました。
『ZOKU-SHINGO』で27年ぶりに画業に復帰して以降、次の新作となる連作絵画『JAVA 洞窟の女王』に取り掛かっていたのです。
ただ、順調とはいかず、一昨年も脳梗塞で倒れ、緊急手術をしました。
入院中にも関わらず、自分を奮い立たせるように「新作を描きたいから、早く退院したい!」と必死でした。
退院したら、本当に毎日絞り出すように絵を描いていました。
昨年7月に再び倒れ、癌が見つかった後は、すぐに財団をつくり「世界中で今まで以上に自分の作品が読まれるようにしてほしい」
「自分の作品の芸術的評価をゆるぎないものしてほしい」
そして“楳図かずお美術館”をつくってほしい、と思いを語っていました。
とにかく最期の最期まで、作品づくりに没頭していました。前向きに未来を見続けていました。
本当にカッコいい、本物のアーティストでした。
楳図さんには、子どもがいませんでしたが、自分なりのやり方で次の世代に何かを残せるはず、未来へ繋いでくことができるはず、それが「作品づくり」なんだと言っていました。
『漂流教室』で、未来に飛ばされた主人公が「ぼくたちは、何かの手により、未来にまかれた種なのだっ!!」と言うシーンがあります。
まさに、楳図作品は“楳図かずおの子ども”として、未来にまかれたんだと思っています。
今日は、楳図かずおと、彼が残した作品たちを振り返ってもらえるよう、映像や愛用品などを多数ご用意しました。
ぜひご覧いただき、これから先、皆さんの未来の中で、楳図かずおに何度も再会して下さい。
そして、どこかで耳をすましている楳図さんに「先生の漫画は永遠に読み継がれるし、これからもどんどん発展していきますよ!楳図かずおは、永遠ですよー!!」と伝えてあげて欲しいです。
この会のタイトルにある「サバラ!」は、さよなら!という意味だけでなく「また会うための合言葉」なんだと、楳図さんはいつも言っていました。
だから、私たちもこう言いましょう。
楳図先生、またね!サバラ!!!
2025年5月28日 一般財団法人UMEZZ 代表理事 上野勇介
展示パネルより引用
楳図さんの功績や思い出を振り返る映像も
上野さんの挨拶のあとには、楳図さんの功績や思い出を振り返る約20分間の映像が上映されました。仕事場でのインタビューの様子や、テレビ番組で歌を披露する姿、大学での授業風景やお化け屋敷の監修時の映像など、楳図さんの貴重な活動の数々が紹介されました。
映像の終盤には、参列者にも配布されたリーフレットに記された「宇宙ではどんな想像も許される」という言葉が映し出されました。楳図さんの表現者としての多彩さや、楳図さんへの深い愛情が感じられる内容となっていました。
その後、里中満智子さん、伊藤潤二さん、高橋のぼるさん、中川翔子さんが、それぞれ楳図先生への感謝の思いを込めた弔辞を述べ、関係者による式は締めくくられました。




楳図さんのデスクや愛用の私服、まことちゃんのオブジェなど、貴重な展示も

お別れの会では、楳図さんが愛用していた品々やこれまでに手がけた数々の作品、年表などが展示されました。いずれも貴重なものばかり。楳図さんの人柄や創作への情熱、そして楳図さんの表現の豊かさが伝わってくる内容となっていました。














吉祥寺では、楳図かずお先生への感謝を込めたキャンペーン「UMEZZ GUWASHI CARNIVAL 2025 ~ありがとう!楳図かずお先生~」が2025年6月1日まで開催しています。ぜひ、楳図さんの親しんだ吉祥寺で楳図先生への愛を感じてみてくださいね。