街々書林の今月の旅する1冊

街々書林の今月の旅する1冊

吉祥寺中道通りに位置する「街々書林 Books & Gallery」の店主であり、旅に関する本を執筆してきた「旅行作家」でもある、小柳淳さんによる月イチの連載コラムです。本の世界の「旅」を、どうぞお楽しみください。

シリーズ一覧

香港・濁水渓 増補版 〜街々書林の今月の旅する1冊

「週刊きちじょうじ」と「週刊きちじょうじオンライン」で毎月第1週にお届けしている「街々書林の今月の旅する1冊」。 「街々書林 Books & Gallery」は、旅にまつわる本や雑誌、雑貨を販売しているユニークな書店。吉祥寺中道通りに位置しています。街々書林の店主であり旅に関する本を執筆してきた「旅行作家」でもある、小柳淳さんによる月イチの連載コラム、本の世界の「旅」をどうぞお楽しみください。

あさごはんで世界いっしゅう

香港・濁水渓 増補版
邱永漢 著
中央公論新社
価格:1,100円
発売日:2021年4月21日
ページ数:368ページ
書籍詳細

7月1日は香港の中国返還記念の日で、香港の祝日です。1997年の返還からすでに四半世紀以上が経ち、かつてこの土地が英領植民地だったことを知らない人も多いかもしれません。この28年間には、大陸との行き来の増大、感染症SARSや新型コロナ禍、北京との軋轢と重圧など多くの出来事がありました。返還後の香港は中国の特別行政区となり、法制度やパスポートも中国とは異なり、香港中国間の移動にはパスポートや身分証が必要です。

返還から遡ると、1970年代頃までは英国統治も腐敗が目立ち、英国人高官の汚職と高跳びまで発生しました。そして第二次大戦中、3年8ヶ月間は日本の占領下にありました。こちらも住民には過酷な時期でした。戦後は大陸中国での国共内戦後に共産党政権が成立し、そこから逃れた難民が香港に押し寄せ、人口が爆発的に増加します。

粗製乱造とはいえ屋根と壁のある難民アパートが戦後大量に造られた(撮影=小柳淳)

この『香港』はその時期の、混乱を極め、秩序も正義も倫理もない中で必死に生きた難民の物語。自由はあるがそれは滅亡する自由、と自嘲しながらも自力で生き抜く世界。第34回直木賞受賞作です。併載の『濁水渓』は日本統治末期激動の台湾が舞台で、ともに著者の自伝的小説です。

19世紀のイギリス占領から始まる香港の歴史を通して、この土地は一貫して今日まで、誰も住民を守る主体がなかったことに思い至ります。今では気軽に行ける旅先の香港ですが、旅の前にその変転を重ねた歴史を知るためにはぜひ読んでおきたい本です。

香港、ビクトリア・ハーバーの美しい夕景(撮影=小柳淳)