ますます広がる、わちふぃーるどの世界!「猫のダヤン」作者・池田あきこ先生インタビュー

六本木ミュージアムで開催される“ぼくは運のいいねこ”展のモチーフとなった本と池田先生。サインをいただきました!

みなさん、11月30日は何の日かご存じですか? 実はこの日は「絵本の日」1。せっかくなら吉祥寺ゆかりの絵本作家の方にお話を聞きたい…!という思いでお声がけしたのが、2023年に40周年を迎えた「猫のダヤン」シリーズの作者・池田あきこ先生でした。

今回訪ねたのは、井の頭公園のすぐそばにある先生のアトリエ。室内には先生の著作や「猫のダヤン」グッズがずらり! そんな夢のような場所で、池田先生がダヤンを生み、育ててきた物語をたっぷりうかがいました。
自然豊かなこの場所をアトリエに選んだ理由をうかがうと「公園の隣に住めるなんて、とっても素敵でしょう?」と目を輝かせながら話してくださいました。

  1. 近代絵本の先駆けとなる考え方をまとめた、瀬田貞二氏の著書『絵本論』(福音館書店)が1985年11月30日に発売されたことにちなむ。福岡市の民間図書館「絵本と図鑑の親子ライブラリー ビブリオ(Biblio)」が制定し、2012年に日本記念日協会によって認定。 ↩︎

池田あきこ プロフィール

ダヤンがはじめて本になった『Birthday Book a Year in Wachifield 12の月の物語』と池田先生

東京吉祥寺生まれ。1983年、自由が丘でメーカーのシンボルとして『猫のダヤン』を描く。1987年より不思議な国わちふぃーるどを舞台に絵本を描き始め、画集、長編物語、また旅のスケッチ紀行など多方面に作品を発表していく。出版書籍は100タイトルを超える。初期作品から描き続ける「パステル」とライフワークである「旅」を軸にした 「猫のダヤン40周年記念原画展」を2023年松屋銀座を皮きりに、全国ロードを開催。また、原画作品は、河口湖・木ノ花美術館にて常設展示されている。 2025年11月21日から、「“ぼくは運のいいねこ”展」を六本木ミュージアムで開催。

母との手づくりから動きだした物語

井の頭のアトリエに飾られたダヤンの時計

池田先生の出身は吉祥寺。お父様が国鉄職員だったこともあり転勤が多く、転校を繰り返してきたそうです。

「絵の勉強って、実はしたことがないの。私は本が好きで、青学の短大(青山学院短期大学)の国文科にいたのよ。就職のことは考えていなかったんだけど、親戚のつてで広告制作会社に入ったのね。」

初めての会社勤めで「仕事って大変!」と感じたという池田先生。電話受付などの仕事を続けるうちに人生を深く考えるようになり、最終的に退職したのが池田先生22歳のころ。その後、現在も工房のある埼玉・鶴瀬へ移り住み、お母様が近所の人を招いて開いた革小物をつくる教室を手伝うようになりました。

「母の教室のおかげで革がたくさんあったから、小物をつくって売るようになったの。渋谷とか、吉祥寺とかの路上でね。当時は第一次“手づくりブーム”。針金細工なんかも売ってた時代ね。」

そんなある日、「革製品求む」という新聞広告が目に入り、自作のバッグを直接売り込みに行ったのだそう。

「派手な紐がついた、ユニークな形のバッグだったの。それをすごく褒めてくれたのね。人に褒められたことなんてなかったから、すっごく嬉しかった! その方が『お母さんと組んで工房を立ち上げなさい』って言ってくれたの。」

池田先生の体験されたこと自体が絵本のお話のよう!

革を濡らして型押しすると形が残る──その“革の可塑性”にのめり込み、池田先生の革製品づくりは一気に広がっていきます。

「母の生徒さんをパートに迎えて、みんなで版を押して、すりこぎでゴリゴリして……。デザインをたくさん彫って、革製品をどんどんつくったのね。」

版画家仲間で一緒につくった本も見せてくれました

その結果、持ち込み先の会社が販路となり、革製品を作れば買い取ってもらえるようになったそうです。

「その頃作っていたのは、“狼の革をかぶった男の子が樽の中で本を読んでいるシーン”とか、“狼の革をかぶった女の子が月を飛び越えているシーン”とかね(笑)。今のわちふぃーるどに出てくる、不思議な国の住人たちの原点みたいなもの。私は柄とかデザインみたいな“役に立たないもの”が得意だったの。一方で、うちの母は私のセーラー服をつくっちゃうくらい、“役に立つもの”が得意だったのね。」

“役に立つもの”を形にするお母様と、“役に立たないけれど心に残るイメージ”を生み出す池田先生。2人のバランスが、わちふぃーるどの出発点になりました。

「布と違ってフチがほつれなくて、革って本当に扱いやすいのよ。だから、絵を描く人はもっと革で遊べばいいのに!って思うの。」

そんな言葉の端々からも、当時の創作への情熱が伝わってきます。

池田先生の娘さんが革に描いてつくったというお財布。めちゃくちゃかわいいです!

革工房わちふぃーるどの誕生

井の頭公園すぐそばにある、「わちふぃーるど ラシカノイ店」

販路としてつながっていたお店が事業を畳むことになり、新たな売り先を探す必要が出てきた池田先生。そこで目をつけたのがギフト・ショーでした。

1976年、「革工房わちふぃーるど」として正式にメーカーとしてデビューを果たします。

「“ギフト”って言葉がちょうど生まれてきた頃でね。雑貨という言葉もまだなかった時代よ。」

徐々に小売店との取引が増え、わちふぃーるどは全国へ広がっていきます。そして1983年、吉祥寺などの候補地の中からついに自由が丘に初の直営店をオープン。店づくりの過程で、池田先生はわちふぃーるどという“不思議な国”も同時に構想していきます。

ラシカノイ店の中は、先生が描いた下絵を元にダヤンの壁画が描かれています

ダヤン誕生は締切前日?! 不思議の国の住人がうまれた日

お店の「キャラクターを作ろう」という流れの中で、当時先生が飼っていた猫をモデルにしたのがダヤン。腕を組んでこちらを見るあのポーズは、この時生まれました。

「お店の包装紙を作ることになって、入稿の前日にダヤンを描いたの。」

まさかダヤンが“締切前夜”に誕生していたとは驚きです! 同時にウサギのマーシィ、ワニのイワンなど仲間の動物たちも生まれ、わちふぃーるどの世界が広がっていきました。その結果ダヤングッズが人気となり、新宿ミロードへの出店も果たします。そして池田先生は、“絵の世界”へと足を踏み出すことになっていくのです。

先生が使っているスマホケース。はじめてダヤンを描いたときのポーズとほぼ同じなのだそう

革から紙へ。ダヤン、絵本デビュー

革工房でのものづくりからキャリアをスタートさせた池田先生。そんな先生を“絵の世界”へ導いたのは、店で作ったダヤンのポスターでした。

「版を彫ることはしていたけど、紙に絵を描くってことはしてこなかったのね。ダヤンのグッズを作る中で、ポスターを作ろうということになって、初めて紙にパステルを使ってダヤンの絵を描いたんです。ポスターを壁に貼っていると、お客さんの反応がおもしろくてね、『不気味』とか『かわいい』とか、いろんな声が聞こえるのよ。誰もスルーしない。あぁ、この猫はすごいぞって思ったのね。」

こうして、「ダヤンを主人公に絵本を作りたい」という思いが生まれました。

「これがいっとう最初に紙に描いたダヤンよ」といって見せてくれたのが、こちら!

「わたしの考える不思議な世界をもっと作っていきたい。それが会社のためにもなると思ったのね。物語ならいくらでもできる!って。」

革の世界から飛び出し、絵の世界に足を踏み入れた池田先生は、まず絵本のコンテ作りを始めます。そして、たまたま手元にあった絵本出版社に電話をかけて直談判! バッグを売り込んだころのエピソードと、どこか通じるものがありますね(笑)。

「電話をかけたのは、海外の絵本を翻訳して出版していたほるぷ出版。うちにその絵本がいっぱいあったのね。奥付を見たら連絡先がある。『絵本を作ったんだけど、見てもらえますか』って言ったら、『いいですよ、持ってらっしゃい』って。」

出版社からは、どんどん絵を描きなさいと後押ししてもらえたそうですが、出版となると多くの時間がかかります。

「でもすぐ出したいでしょ? だから『うちで作っちゃおう』ってなったの。なんてたってメーカーだもの!」

こうして自費出版から始まったダヤンの絵本は、その後ほるぷ出版から正式に出版され、シリーズとして次々と世に出ていきました。さらに雑誌「MOE」で定期的に特集が組まれるなど、ダヤンは絵本のキャラクターとして全国的に知られる存在に。

革工房で培った「ものを作り、売る」という視点と、自分の世界観を形にする創作の姿勢。この両方が、池田先生の絵本作りへと繋がっていったのです。

旅はインスピレーションの原点

池田先生が描かれたスケッチ紀行の本

池田先生はとにかく旅好き。世界各地でスケッチをしながら、その体験がわちふぃーるどの世界に新しい風を吹き込んでいます。

「北極へ行ったときに、カナダ人の男の子が“僕のおうちにすごいものがあるよ”っていうから行ってみたら、スーパーマリオのゲームだったの(笑)。これは大変、そのうち世界が同じようなもので埋まっちゃうんじゃないかって思ったのよ。」

“世界が変わってしまう前に旅をしなければ”という気持ちが、スケッチ紀行シリーズへと繋がりました。

旅から持ち帰ったものが、またわちふぃーるどの世界を豊かにしていく。そんな連鎖を楽しんでいるような、池田先生の笑顔が印象的でした。

これからも広がる、わちふぃーるどの世界

取材をした井の頭にあるアトリエが完成したのは1991年。それ以来ずっと吉祥寺で暮らしているという池田先生。アトリエの近くにも家があり、いずれはそこを自分のギャラリーにしたいという夢も語ってくれました。

「生まれも吉祥寺で、またここに戻ってきた。ご縁のある場所だし、アトリエのそばに小さくてもギャラリーができたら、いよいよ“吉祥寺の人”って言えるわよね」と、先生は笑顔で話してくれます。

そして最後に、“今のものづくり”についてこんなふうに語ってくれました。

「もう単にお店で“もの”を買うだけの時代じゃなくなってきました。私が生きてきた時代は、“もの”を実際に見て、選んで、つらいことがあったらそれを心の拠り所にするような時代だったんです。でも今は、スマホの中に無限の世界が広がっているでしょ。だから“もの”だけでは太刀打ちできないのよね。だからこそ、たくさん展示をして、体験できる場を作る。そして、その記念になる“もの”を作る。フォトスポットを用意したり、来た人が楽しめる仕掛けを考えたりね。人は体験を持ち帰りたいものだから。」

先生のアトリエの本棚

革製品という“もの”から始まり、そこから独自の“世界観”へと物語を広げてきた池田先生。

絵本の世界は、一つひとつの物語が映画のように長いわけではありませんが、何度も読み返したくなる作品がたくさんあります。取材をした私自身、そんな絵本が大好きで、今回の取材では作家・池田あきこの創作の秘密に少し触れることができました。

池田先生は、“もの”と“想像”のあいだを自由に行き来しながら、猫のダヤンとともにわちふぃーるどの世界を育ててきました。2025年秋の展示も、そうした思いがぎゅっと込められた特別な体験になるはず。“不思議な国”にたっぷり浸って、心に残った思い出を“もの”と一緒に持ち帰ってみてください。きっといつか、ふと手にしたそのグッズが、あなたの毎日をそっと彩ってくれるはずです。

池田先生から週きち読者のみなさんへ

吉祥寺って、本当にすばらしくて住みやすい街だと思うんです。だってこんなに自然があるし、川もあるし、街には映画館もある。歩ける範囲にいろんなものがそろっていて、こんな街ってなかなかないでしょう? 世界一の街だと思うから、私はずっと吉祥寺に住みたいし、吉祥寺が大好き!

わちふぃーるど ラシカノイ店もあるので、公園へ行くついでに立ち寄ってみてください。そして、個展にもぜひ遊びに来てみてください。

“ぼくは運のいいねこ”展のパンフレットと、展示の元になった絵本

〈“ぼくは運のいいねこ”展〉

会期 2025年11月21日(金)~12月1日(月)

時間 11:00〜19:00(平日・土曜)/10:00〜18:00(日、振休)
※最終日16:00まで、入場は閉場の30分前まで

入場料 一般当日1500円(前売1300円)、大学生・高校生1,000円(前売800円)、中学生500円、小学生以下無料

会場 六本木ミュージアム

わちふぃーるど‗六本木原画展

わちふぃーるど六本木原画展2025のHPです https://dayan.wachi.co.jp/roppongi2025

わちふぃーるど吉祥寺ラシカノイ店にはかわいらしいグッズもいっぱい!