吉祥寺村立雑学大学
2091回(2021/09/11)雑大レポート 米国同時多発テロ「9.11から20年=あの日あの時のこと、日本人として思ったこと」
====== 本記事は、雑学大学に参加された方によるレポート記事です ======
「悲しみは癒えることなく」=9.11から20年
あの日のニューヨークは、抜けるような秋空がくったくなく広がり、普段と変わらない気ぜわしい朝が始まっていた。その平穏な日常が4機の飛行機によって打ち砕かれた衝撃の同時多発テロ。その日から20年の節目がこの9月11日だった。かつてNY駐在中にホットラインのカウンセラーをしていた私は、NYの邦人支援のために取るものも取らずにNYにすっ飛んで行った。市内はいたるところにおびただしい数の星条旗が括り付けられ、華やかなはずの大都会は怒りと絶望と悲しみに溢れ、テロに屈しない結束を誓い合うのに懸命だった。
直後、その町はこんな噂で覆われたから驚きだった。「予告もなしにテロ行為をするって、パールハーバーみたいだ。命惜しまず飛行機で体当たりするやり方は、カミカゼを思わせるよ」。ほどなくアフガニスタン人が…となって、今度は、アフガニスタン人が責めを受けた。NYで一番多いタクシードライバーはアフガニスタン人。誰よりも大きな星条旗をタクシーの前後に括り付けて「結束」の輪に入ろうとしたが、客は彼らのタクシーを拒否し、あちこちで運転手と小競り合いをする光景が見られた。海外にあったら、思わぬことで自国の歴史や滞在国との関係が問われることを忘れてはならない。
4機目のペンシルバニアに墜落したUnited 93便では、ひとりの若き学生(20歳)が犠牲になった。日本から駆け付けた母親は、息子の棺に星条旗がかけられていた様を見て、泣き叫んだ。「あんたたちが恨みを買うようなことをしたから、息子がこんな目に遭ったんだ。息子を星条旗で包むな」。母親は町中の白い布と赤い布を手に入れ、夜なべをして日の丸を縫い上げ、息子の棺を覆っている。
町中のいたるところに行方不明者探しの張り紙が貼り付けられた。特徴書きに“Japanese. Eyes Black, Hair Black“。と書かれた文字を見て、本当に泣けた。日本国の日本人としての思いが込み上げ、たまらなく無念の気持ちを抱いた私にとっての「9.11」だった。
海外邦人安全協会理事 福永佳津子