レモンドロップ閉店!? 老舗ケーキハウスと「吉祥寺を創った男」のビバップな関係

吉祥寺を揺るがす大ニュース?!

最近、とある大ニュースが吉祥寺を震撼させました。
それは、
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1980年から続く吉祥寺の老舗ケーキハウス、洋菓子店レモンドロップの閉店です!

閉店を知った人達の悲しみの叫びが、SNSにこだましていました。

長い歴史を持つレモンドロップは、色んな方の想い出と結びついて特別な存在になってるのだなぁと感じました。上質で新鮮な素材と手作りにこだわった生菓子・焼き菓子を提供して、地元の人達にとても愛さているお店です。吉祥寺っ子は、みんなレモンドロップのケーキを食べて育ったと言っても過言ではありません。長年親しんできたレモンドロップが閉店してしまうのはとても悲しいです。

と、しんみりしてしまいましたが、レモンドロップのケーキが食べられなくなってしまうわけではありません。

中道通りの檸檬雫で購入できますし、系列店のSOMETIMEでは店内でケーキをいただくことができます。SOMETIMEで頼めるお祝い用のスペシャルケーキも、実はレモンドロップ製。本店の4階にあるケーキファクトリーで製造されています。


レモンドロップとジャズの意外な関係

SOMETIMEは、老舗ジャズクラブ。レモンドロップと同じ株式会社 麦が経営していることは意外と知られていないようで、「SOMETIMEって系列店だったんだ!」と驚いている方がいらっしゃるようです。

「レモンドロップ」といえば、シチリア出身のジョージ・ウォーリントンが作曲し、ウディ・ハーマンの演奏でも名高い同名の名曲を思い浮かべる方も多いでしょう。レモンドロップと吉祥寺のジャズ文化は、切っても切れない深い関係にあるんです。

レモンドロップとSOMETIMEを開いたのは「吉祥寺を創った伝説の男」とも称される野口伊織さん。1960年、両親が吉祥寺で経営する純喫茶店「ブラジル」の地下に、当時高校生だった野口さんの提案でジャズ喫茶「ファンキー」を誕生させました。

慶應義塾大学を卒業後に野口さんは「ファンキー」を地上二階地下一階に改装して吉祥寺のジャズ喫茶ブームの火付け役となりました。当時、輸入盤のレコードは高級品。大卒の初任給の1/5くらいする高価なものだったので、珈琲一杯でゆっくりとジャズを楽しめるジャズ喫茶が若者に大流行。吉祥寺では、「ファンキー」以外にも「メグ」「A&F」など伝説的なジャズ喫茶が次々と生まれました。

また、ジャズ文化を牽引するのと並行して、野口さんは飲食店のプロデュースも意欲的に行いました。「西洋乞食」「SOMETIME」「レモンドロップ」「OLD CROW」「蔵」「金の猿」など話題の店を次々と開業。吉祥寺を中心に30軒以上の店を手掛けました。野口さんは一流のデザイナーに店舗の設計を依頼し、空間の演出や音に関して非常にこだわったといいます。

レモンドロップを運営する麦の会長さん(野口さんの弟です)作のイラストを頂きました。JBLのスピーカーは、当時JAZZ喫茶が競い合うように導入していました。

大人のケーキの楽しみ方をSOMETIMEで

吉祥寺が住みたい街ナンバーワンになったのは、野口さんのような情熱的な起業家の先人が街を盛り立ててきたからこそ。さらに大きな街になっても、こだわりある老舗がずっと営業を続けられる環境でいて欲しいです。消費者として「推せる時に、推しは推せ」、好きなお店にはなるべく足を運びたいなとあらためて感じました。

SOMETIME ウェブサイトから

SOMETIMEでバーボンと一緒にレモンドロップケーキを食べながらジャズに耳を傾ける、大人にしか出来ない贅沢なケーキの楽しみ方です。レモンドロップのケーキを食べに行って、ジャズデビューしてみませんか。