吉祥寺村立雑学大学
2071回(2021/04/24)雑大レポート 吉祥寺学部特別講座『ルーマニア・ホストタウンむさしの/今更ながらルーマニア入門-後半』
====== 本記事は、雑学大学に参加された方によるレポート記事です ======
留学当時のルーマニアはチャウシェスク大統領の独裁政権下で済政策に失敗、政権は飢餓輸出に走り、国民はライフラインの最低確保も不可能なり始めた時代。そして国民の不満が爆発したのが1989年の12月の革命。講師は1987年からルーマニアに留学、ルーマニアの先生と同級生の暖かさで充実した留学生活だった。革命も経験。革命後はハイパーインフレと治安の悪化で一時期生活が混乱。オーケストラをはじめとするプロの文化団体は困難を極める。
武蔵野市との交流の始まり
1991年講師は一緒に活動を始めたブラショフ市のフィルハーモニー(当時は「ジョルジュ・ディマ」フィルという名前)への援助を日本で訴え、それを受け入れてくれたのが武蔵野市の当時の土屋正忠市長。援助運動に主眼を置いた1992年の来日公演は成功裏に終わり、翌年武蔵野市の市民団もブラショフを訪れ、長い交流が始まる。
ルーマニアの歳時記
後半はルーマニアの歳時記や日常生活について。ルーマニアは教会カレンダーに基づき、特色のある季節の過ごし方をしている。ルーマニアの春を告げる花はスノードロップ。3月1日は女性を祝う日。そして特徴ある卵で祝う復活祭。 ルーマニアの名前 ルーマニアの人の名前はキリスト教の聖人かルーマニアの中世の英雄の名前をつけることが多い。誕生日以外にも命名祝日が同様に祝われる。
ルーマニアの食文化
ルーマニアのお酒にはビール、ツイカとよばれる果実の蒸留酒、そしてワインがある。ワイン栽培に適した緯度で素晴らしいワインが生み出されている。ルーマニアの食文化は地理的関係からアラブ、ギリシャなどといった食文化の影響も受けている。名物はサルマーレ(ロールキャベツ)。ルーマニア人は人懐こく、また明るい。諸分野で際立った能力を持つ人間も輩出している。2007年のEU加盟後、国民一人当たりのGDPは上昇しつつあるが、今後人材の流出が問題となるだろう。
講師:曽我 大介氏