吉祥寺村立雑学大学
2078回(2021/06/12)雑大レポート『黄禍論(黄色人種有害論)』
====== 本記事は、雑学大学に参加された方によるレポート記事です ======
「黄禍論」の系譜-対アジア系ヘイトクライム(憎悪犯罪)の増加に関連して
高橋輝好
昨年来の新型コロナの大流行下のアメリカなどで中国出身者やアジア系に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)が多発し、一説にはトランプ大統領(当時)の“中国ウイルス”発言が黄色人種差別を助長したとされる。この差別論がいわゆる「黄禍論」といわれるものだ。
黄禍論を定義すると、その「底流には白人の優越性と有色人種の劣等性という考え方があり、遠い背景として13世紀のモンゴルのヨーロッパ侵略がある。19世紀から20世紀の合衆国における中国人、日本人への排斥、かつてのオーストラリアの白豪主義は黄禍論の一つの姿」(小学館『日本大百科全書』)、「もっとも早いのはドイツ皇帝ウィルヘルム2世で、彼が画家クナックフスにいわゆる<黄禍の図>を描かせ、それをロシア皇帝ニコライ2世に送ってから、黄禍論はヨーロッパにおいて問題となった。ちょうど日清・日露戦争後のころ。H・S・チェンバレンの<19世紀の基礎>があらわれ、それが前述のウィルヘルム2世やヒトラーの<我が闘争>の思想にも影響した」(橋川文三『世界大百科事典』=平凡社)とある。ところで、鴎外森林太郎は日露戦争開戦の年に発行された「黄禍論梗槩」の中で、「日露の間には恐らくは戦争が避けられぬ……此の戦争が我に不利であったら白人は凱歌を唱えましょうし、若し又我に利があったら、我が戦勝の結果を縮小しようとして、黄禍論を持ち出す……」と述べて、黄禍論の不当性を訴えるとともに、黄禍の主体として見るならば中国は日本の比ではない、と指摘しているのが注目される。
野原駒吉の著書『黄禍論』も、主として日本人に向けられた黄禍論は、1930年代当時、華々しく見えた日本に対する過剰評価の裏返しで、恐るべき黄色人種という意味では黄禍の主役は日本ではなく、中国だと反論、鴎外とほぼ同主旨を述べている(詳しくは拙著『“黄禍論”の系譜―「野原駒吉」の世界(史)観』=さんこう社=を参照されたし)。なお、チェンバレンの思想の根幹にある反セム(ユダヤ)主義、ヒトラーの思想も概観した。(文責=高橋輝好)