書物蔵の吉祥寺古本屋さんモーデ
大ヒット『調べる技術』著者(の魂の双子)の古本マニアの書物蔵さんによる連載です。吉祥寺や中央線沿線の古本屋さんで出会った古本や面白くってためになるお話を書物蔵風にお届けします。
実は日本で4番目の古本屋街となりつつある吉祥寺。今回はちょっと昔話をしましょう。
最初に昔わちきが使った『全国古本屋地図('89改訂新版)』(日本古書通信社、1989)をお見せする(´・ω・)ノ
○図1 1990年ごろの吉祥寺古本屋地図(『全国古本屋地図』より)
下町の古本屋と山の手の古本屋
幼少時、唯一見た古本屋が――東西線のとある駅前――本当に「下町の古本屋」で、文庫の安売りとエロ雑誌の面陳売り、少年ジャンプの「早売り」(ヤミで月曜発売を土曜に売る)で売っていた小型店だったんで、古本屋はいかがわしい(笑)雰囲気のものと誤解(?!)していたのぢゃった(σ ・∀・)
それから十年、実は日本語文献については、巨大な貯水池、古い本が広く買える日本人の記憶装置みたいなもんだと気づいたのは、大学に入ってブラブラする時間ができ、神保町の三省堂からふと西へ歩いた瞬間だった(*゜-゜)トオイメ
大きな古書店があんなにもたくさん――いま少し減ったが100店はある――並んでいるに本当に驚き、図書館にないような楽しい本、雑誌がたくさん並んでいること、お金さえだせば、どんな知識でもゲットできることに驚いたのよ(´・ω・)ノ
それで古本屋めぐりにハマった際に買い求めたのが、前掲の『全国古本屋地図』(σ ・∀・)
古本趣味の発展段階
元ミリオタだったので最初は『世界の艦船』のバックナンバーとかを買ったりしたんぢゃが、そのうち絶版文庫集めなども始め、授業が休講になるとそのまま神保町か早稲田へ出る、なんちゅーことをしてた。それが昂じて近県の古本屋をめぐることに。
どうも古本買いに熱中するのには、発展段階があるらしく、最初は安い本を求めるため(①安本期)、次に自分のなつかし本を求めるため(②なつかし本期)、さらに自分の趣味が広がっていき(③マニア初期)、いろんな古本の見極めがつくようになり(④マニア後期)、最終段階は買うのが止まらなくなるか、逆にほぼ買わないのに古本市には皆勤する、という境地(⑤達観期)に至る。
そういや、カラサキアユミ著『古本乙女の日々是口実』(皓星社、2018)に頼まれて解説を書いたんぢゃが、こういった古本者あるあるネタ、特にマニア期のものが満載で、面白おかしく勉強になるっちよo(^o^o)
かつてあった古本屋地図
そのうちに岩波ブックサービスセンターでだったか、目に留めて買ったのが『全国古本屋地図』の1986年版だったんだ。これは日本古書通信社(略称:古通<こつう>)という趣味雑誌社が1977年から発行していた地図帖で、当時はこれと、『古書店地図帖』(図書新聞、1967-1990)の2種類の古書店地図帖があって、古通の地図帖のほうが、ほぼ毎年から隔年で更新されていたので、基本、これを持って都内、近県の古本屋を廻ったものぢゃ( ´ ▽ ` )ノ いまは残念ながら出ていないけれど(´・ω・`)
当時の個人商店は結構ルーズだった
手元に残っていた1989年版を見ると、西荻と吉祥寺のところに何やら当時の自分が書き込みをしている。ちょっと読み解いてみよう。
地図下欄外に「この本で閉店日、時間を調べていっても、閉まっている店が結構ある。古本店人はそういう点では他業種に比べてルーズだということができる」などとある。
今から考えると、昭和期の個人商店というものは、実は店主の運用次第でずいぶん自由だった。わちきの実家も小商店を営んでいたんぢゃが、開店時間と休日を厳格に守っていて、それだけでお客さんの信頼感を生んでいた(あまつさえ趣味の店だったので、初期には客が帰るまで深夜営業していたことも)。
わちきの書き込みは、古書店地図をみて訪ねていったが閉まっていたという残念さが表現されている。これは古い古本マニアには共感されることだろう。当時はケータイ普及以前とて、電話でアポをとるといったことは商用の営業でもない限りほぼなく、古本屋探訪も行きあたりばったりが基本(σ ・∀・)
1990(平成2)年の吉祥寺、古本屋散歩ルート
また、絶版文庫集めをしていたので岩波文庫の有無について結構書き込んである。吉祥寺だと駅を出てまずは藤井書店を目指してサンロードを歩く。結構距離があるのだが、途中、2つの古本屋、外口書店、さかえ書房があるのでそこに寄りながら進む。両方の店とも、奥行きの深い店で、「街の古本屋」として落ち着いた、似たような品揃えだった印象がある。地図の表現でいうと専門は「古書一般」というやつだ。いまでも外口さんは営業しているね。あれが昔の「街の古本屋」(σ ・∀・)
藤井書店については、「岩波文庫の穴場、しかし、売り場(2F)が開いていないことが多い」とある。1990年前後、絶版の岩波文庫は1冊3,000円に届くくらい高くなっており、神保町に岩波文庫専門の店――山陽堂支店(現在、秦川堂書店の場所)――があったくらい絶版文庫は高かった。ブックオフの影響か、ネット普及の影響か、2000年代半ばから古書価格全体が下落し、古本は書いやすくなった。いま岩波文庫は100円で投げ売り状態である。
絶版文庫集めは、戦時中の学生に流行ったとかや(´・ω・)ノ 最近では2000年前後にあった。わちきはちょうどその中間で集めていたのだった。
当時、藤井書店はサンロードの2店よりややポップな品揃えで、行くのが楽しみな古本屋の一つであった。最近はよみた屋さんなど駅近くばかり攻略していたから、そのうち行こう。
次の地図は『古書店地図帖』(1967年)から。藤井さん、外口さんがもうあるね。吉祥寺駅だけで9店もあるのは、街の古本屋さんが多かった時代だねぇ……(*゜-゜)
編集部注
1989年は武蔵野市の開村百年の年として、様々なイベントが行われていた年。ロンロン(現在のアトレ吉祥寺)がリニューアルオープン。武蔵野中央公園のオープン、総合体育館・温水プールの完成も1989年です。